四国の鉄道事情
先日愛媛県松山市を訪ねる機会がありましたので、このテーマについて調べてみました。
JR四国はJR北海道と並んで経営基盤が脆弱であると評されがちですが、国鉄民営化後の両社を比べると、そこには大きな違いがあります。北海道に住む者としては驚きの事実でもあります。
それは「JR四国になった後に廃止された駅はない」ということです。厳密には中村線窪川-中村間が土佐くろしお鉄道に、牟岐(むぎ)線阿波海南-海部間が阿佐海岸鉄道にそれぞれ移管されて、JRの駅でなくなっています。しかしながら、土佐くろしお鉄道になった後も駅の廃止はなく、その先宿毛(すくも)まで路線が延伸されています。阿佐海岸鉄道ではJR北海道が実用化寸前まで開発を進めたDMV(デュアルモードビークル)が営業運転を始めました。他には宇高航路が本四備讃線(いわゆる瀬戸大橋線)に置き換わる形で廃止されていますが、駅の廃止はありません。
添付の画像はJR発足時である1987年4月号のJTB時刻表に掲載されている四国の路線図です。当時は実際の地形により近く描かれていたのも興味深いです。
地下鉄の接近メロディー放送終了
札幌の地下鉄駅の一部で流れている「虹と雪のバラード」の接近メロディーの放送が今月中に終了します。私は放送開始当初からある疑問を抱いていました。その疑問は解けることなく放送自体が終了してしまいます。
その疑問とは、「なぜ音源を1種類しか用意しなかったのか?」ということです。東西線大通駅や南北線・東豊線さっぼろ駅など、島式ホームの駅でメロディーを流さない(流せない)理由もこのことに関係しています。
いまは番線ごとに異なる音源を用意して、音を聞けば列車の進行方向がわかるようにするのが一般的で、それがバリアフリー対策にもつながるのではないでしょうか(例えば、同じ「虹と雪のバラード」でも、出だしのところが流れたときには新さっぽろ行きが、サビの部分が流れたときには宮の沢行きが到着するといった具合に)。
その筋の専門家でなくても思いつくような素朴な疑問を、市役所や交通局で取り上げる人がいなかったのだとすると、それはそれで不思議な話だと思います。
ひとまず“2度目”がなくなったことはさておき、南北線が誕生するきっかけは1972年のオリンピックなのですから、選曲自体には一定の合理性があるといえるでしょう。ただ、微妙な(オリンピック招致の機運を盛り上げる)動機と中途半端な(1種類しかない)音源の用意は、冷ややかに評されてもしかたがないのかもしれませんね。
夕張鉄道線の終焉
先日お伝えしたとおり、夕鉄バスの一部路線が今年10月1日に廃止されます(最終運転日は9月30日)。廃止される路線のうち「新夕張駅前~栗山駅前~新札幌駅前」は、かつて野幌駅と夕張本町駅とを結んでいた夕張鉄道線の代替輸送を担うバス路線と考えられます。野幌駅南口から夕鉄本社ターミナルまでの区間はおおむね当時の線路に沿ったルートで運転されていて、廃線跡に整備された広域農道を走る区間もあります。
車内は非常にきれいな状態ですが、座席の上にある広告にはタイムスリップを感じさせるようなものが残っています。
途中の栗山駅前までは何度か乗車したことがありますが、夕張まで乗車したのは初めてです。廃止を知って乗車した方がいらっしゃったかもしれず、想像していたより乗客は多いと感じました。
現在、長沼町内の停留所には乗降制限が設けられています。新さっぽろ駅前発の便は町内で降車できず、新さっぽろ駅前行きの便には乗車できません。このため、新さっぽろ-長沼 という形の利用はできません(夕張-長沼 は利用可)。
今回は旧清水沢駅の近くまで乗車しました。バスの終点は新夕張駅ですが、旧夕張本町駅とは別の場所で、廃線ルートから離れてしまうことなどが理由で途中下車しました。かつての跨線橋の上から駅のホーム跡を見ました。駅舎は2022年末までに解体されたとのことです。
市内のバス停には10月以降の時刻が掲示されています。新さっぽろ方面行きの便がなくなり、夕張市内のみの運行になります。写真はありませんが、路線が廃止される区間の停留所では停留所自体の廃止のお知らせを見ることができます。
鉄道廃止から間もなく50年、その事実上の代替バス路線も廃止されることで、夕張鉄道線は一つの時代の終わりを迎えるといってよいのではないでしょうか。
新札幌バスターミナルにある栗山駅前行、夕張行の表記も間もなく見納めです(別の日に収録)。
夕鉄バスの路線廃止決定
夕張鉄道(夕鉄バス)がバス路線の一部廃止を予定していることは以前お伝えしましたが、
https://takuma-legal.com/2023/03/29/yutetsubus/
2023年10月1日付でこれらの路線を廃止することについてのリリースが、8月11日付で行われています。
詳しくは以下のリンクをご覧ください。
https://www.yutetsu.co.jp/infofiles/busrosen_haisi.pdf
(注)画像はリンクのPDFをスクリーンショットしたものです。
夕鉄バスの路線廃止計画
夕張鉄道(夕鉄バス)が今年10月以降バス路線の一部廃止を予定していることをリリースしています。理由として、運転手不足の慢性化、新型コロナウイルスの影響による利用者の減少や原油価格の高騰などによる厳しい経営状況をあげています。
廃止予定路線は次の3路線です。
(1)新夕張駅前-栗山駅前-新さっぽろ駅前
(2)りすた(夕張市拠点複合施設)-由仁駅前-新さっぽろ駅前
(3)栗山駅前-南幌ビューロー-新さっぽろ駅前
※南幌東町-新さっぽろ駅前の路線は運航を継続します
予定どおりの路線廃止が実施されると、札幌市-江別市-南幌町を結ぶ区間と夕張市内の区間とで会社のバス路線網が分かれることになります。栗山、長沼、由仁の3つの町では夕鉄バスの運行がなくなります。
江別市と栗山町を結ぶ路線は、かつて放送されていた「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」のルートとしても利用されていました。この区間が廃止されると、江別市と岩見沢市との間は路線バスでつながらなくなるのではないでしょうか(栗山町と岩見沢市を結ぶ路線は中央バスが運行しています)。
以前新さっぽろ駅前→栗山駅前で乗車した際に、途中の南幌から先で乗客が私1人になったことを思い出してしまいました。
詳しくは以下のリンクをご覧ください。
https://www.yutetsu.co.jp/infofiles/050313info.pdf
(注)画像はリンクのPDFをスクリーンショットしたものです。
バスと地下鉄の乗継券の廃止について
札幌市交通局が、2023年3月31日限りでバスと地下鉄の「乗継券」を廃止する旨のリリースを出しています。
2023年4月以降にバスと地下鉄の乗り継ぎ運賃の適用を受けるには、ICカード乗車券を使用する必要があります(ICカード乗車券が使用できない、ばんけいバスと夕鉄バスを利用する場合を除きます)。地下鉄と路面電車との乗継券は、引き続き販売されます。
詳しくは、以下のリンクをご参照ください。
https://www.city.sapporo.jp/st/josyaken/topics/202202.html
JR新札幌駅1番ホームの乗車位置変更のおしらせ
2022年11月10日から、快速「エアポート」および6両編成の普通列車の乗車位置が変わります。停車位置が現在より前(千歳方向)になります。「エアポート」の場合、エスカレーターを利用してホームに着いた際に、指定席の4号車がより近い位置に停車します。
一部の特急列車についても変更となります。
なお、3両編成の列車の乗車位置は今までどおりとのことです。
南富良野町を訪ねました
☆まずは新得駅へ
先日、南富良野町を訪ねてきました。公共交通機関を利用して札幌から日帰りするには、ちょっとした工夫が必要です。石勝線の夕張支線が2019年4月に廃止されたことで、追分駅と新夕張駅とを結ぶ普通列車が激減しました。このため、現在は乗車券のみで石勝線に乗車して南千歳駅から新得駅に到達することが困難になりました。「一日散歩きっぷ」や「青春18きっぷ」のような普通列車・快速列車の自由席に自由に乗り降りできる“きっぷ”を所持していても、南千歳駅または追分駅と新夕張駅の間では別途乗車券と自由席特急券などを購入する必要があります(新夕張-新得間内相互発着の場合に限り特急列車の普通車自由席が利用できます)。なお、今回は「HOKKAIDO LOVE!6日間周遊パス」を利用して、特急列車で新札幌駅から新得駅まで乗車しました。自由席の車内は混雑していませんでした。およそ2時間の乗車の後、最初の乗り換え場所である新得駅に到着しました。そういえば、新得町も朝ドラの舞台でしたね。
駅の周辺を散歩します。近くの電器屋さんにある「パーフェクTV」の文字に懐かしさを感じてしまいました。駅にはコンテナの貨物列車が停車していました。コンテナのドアロックがこのような感じになっているのは初めて見ました(封印の役割を果たしているのかもしれませんが、自信はありません)。さすがに市販品の結束バンドではないと思いますが…。
駅前にはミニ鉄道のレールも敷かれています。ただし、残念ながらこの日はお休みで乗車することはできませんでした。
☆道の駅から幾寅駅まで
JRの代行バスダイヤの都合上、新得駅前から南富良野町までは、事前予約した都市間バスのノースライナー号に乗車しました。鉄道の幾寅駅ではなく、道の駅が停留所です。当日は地元の農産物に関するイベントが開催されていたこともあり、駐車場はかなり混雑していました。
道の駅から幾寅駅までは徒歩で15分程度との情報を得て、国道38号線を南に進みます。途中でセイコーマートの看板を見つけました。シャッターが閉まっていて、店内改装中かと思って近づいてみると、収録前日の9月30日限りで閉店とのことでした。
幾寅駅前には占冠村営バスの停留所があります。時刻表の部分は紙製ではありません。一定の厚みがある金属板が、なぜこうなったのかは謎です。
幾寅駅の近くで休憩を兼ねた昼食でした。おいしい食事と店主さんのお話で、楽しい時間を過ごすことができました。店主さんは厚別に縁(ゆかり)のある方だということもわかり、いっそう話が弾みました。
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☆幌舞駅前のロケセット
今回の主たる目的である幾寅駅に到着しました。この駅は、映画『鉄道員(ぽっぽや)』の中で「幌舞駅」として登場することで有名ですね。駅舎以外にも、ロケで使われた建物のセットを(外からですが)見ることができます。映画の中でキハ12_23として登場した、キハ40_764のカット車体もあります。写真のアップは控えますが、車内には映画出演者のサイン色紙が展示されています。
☆幾寅駅
駅の外観は幌舞駅の雰囲気が保たれています。駅舎内のロケセットは見学可能です。先日訪れた恵比島駅(朝ドラの「明日萌駅」)と異なり、ロケ用の駅舎を別に作ったわけではないためだと思います。ホームの先に見える腕木式信号機も、映画のセットの一部になっていたのではないでしょうか。本来であれば、列車から降りた乗客をこのような形で迎え入れるはずなのですが、それが実現する可能性が限りなくゼロに近くなっているのは残念です。費用面の制約があることは承知の上で申し上げると、自社で実用化寸前まで研究を進めたDMV(デュアル・モード・ビークル)を活用すれば、鉄道の不通区間があったとしても富良野-新得間を結ぶことは可能ではなかったのか?との疑問も生まれてきます。ホーム上には富良野、滝川、札幌方面を指す案内板があり、かつてはメインルート上の主要駅だったことを訴えかけているようでした。石勝線開業直前のダイヤを見ると、急行「狩勝」の一部が停車して、乗り換えなしで札幌駅まで行くことができました(交通公社の=現JTB 時刻表1981年7月号より)。
☆富良野駅にて
幾寅駅からはJRの代行バスに乗車して東鹿越駅へ、その後富良野駅を経由して帰路につきました。富良野駅ではキハ40の懐かしい塗装車両を見ることができました。ちょうど、幾寅駅前で見たカット車体をも思い出す塗色でした。
留萌本線、最後の秋区間を中心に
2023年3月末で一部区間(石狩沼田-留萌間)の廃止が予定されている留萌本線に乗車してきました。現在のJTB時刻表では、留萌本線は函館本線の山線区間(小樽-長万部間、7月に乗車)と同じページに収録されています。我が国の鉄道開業150周年の記念の年に、2つの線区とも将来の廃線が決定してしまったのは残念なニュースです。
起点の深川駅にある掲示を一部ご紹介します。収録日は9月の平日にもかかわらず、7時59分発の留萌行きは多くの乗客で混雑していました。留萌まで往復することを考えると、遅くとも11時台に発車する列車に乗るのが現実的といえるでしょう。
写真はありませんが、留萌本線は多くの区間で高規格道路である深川留萌道が並行しています。そこでは並走する自動車が列車を追い抜く場面も少なくなく、鉄道にとっては厳しい環境になってしまいました。
☆恵比島駅
ここは、以前放送されたNHKの連続テレビ小説「すずらん」のロケ地として有名かと思います。駅舎が2つ並んでいるように見えますが、左側にあるのはロケセットとして使われた「明日萌駅」で、実際の駅は右側です。レトロな外観を醸し出していても、中身は車掌車駅舎(=かつて貨物列車の最後部に連結されていた車掌車を駅舎に転用したもの)です。
駅舎内には千羽鶴が吊り下げられていました。何を願っていたのかはわかりませんが、路線存続の願いは叶いませんでした。中には駅ノートが置かれていて、最新の書き込みは静岡県在住の方でした。隣に置かれているパンフレットで、沼田町は子育てのまちとしてPRしていることも知りました。
なお、駅舎内にはトイレがありませんので、向かいにあるロケセットの旅館に併設されているそれを利用することになります。
☆恵比島駅周辺
ドラマのロケセットは管理人不在ということで閉鎖中です(見学希望の方は事前に町役場に申し込む必要があるようです)。「明日萌駅」の中は無人のはずなのに、ドラマの主人公である「萌」と思われる人形が展示されているのが見えて、一瞬後ずさりしてしまいました。
駅周辺はロケセット以外に店舗や施設はありませんので、現状は天候の急変があっても駅舎以外に逃げ込める場所はないと思います。駅の歴史としては残りわずかですが、これから冬を迎える時期であることも考え合わせると、ここに降り立つのであれば車で行くのが賢明かもしれません。駅前には町営バスの停留所がありますが、立ち寄った時間帯の運行はありませんでした。駅の近くの道路には、白樺を模した電柱が並んでいるのが特徴的でした(実際はコンクリート製です)。
駅の近くにある踏切の標識は、正統派?の蒸気機関車が描かれているものです。非電化区間の踏切標識にパンタグラフ付きの絵柄(電車)では、少し残念な気持ちになるところでした。ただ、この踏切も来年には姿を消すことになります。駅の裏側には、かつてここを起点としていた留萌鉄道の建物と思われるものがあります。
☆石狩沼田駅
行程の都合上、恵比島駅から戻る形で石狩沼田駅に着きました。現在は1面1線の構造ですが、奥には使われなくなった島式ホームが残されています。かつては札沼線の終着駅でもあり、交通の要衝だったことがうかがえます。駅の近くにあった化石館は移転して、現在は幌新にあるとのことです。
町はJRを応援する姿勢をアピールしてきたものの、路線の存続には至りませんでした。駅舎内には留萌本線開業111周年を記念する飾り付けがされていました。4年後、本来であれば全線開通115周年記念を祝うべき2026年に全線廃止されてしまうのは、皮肉な運命だと思いました。
☆旧瀬越駅
留萌駅前からは増毛方面に向かう路線バスが運行されています。運行会社である沿岸バスのバス停にはこのようなイラストが施されています。留萌だけに“萌え”がイメージされているのかもしれません。増毛までの区間の廃線紹介は別の機会にということで、1駅相当分だけ乗車して旧瀬越駅を訪ねました。旧駅舎の前には線路が敷かれていた枕木と思われる木材が積み重ねられていました。旧駅舎内は当然のことながら立ち入りができなくなっています。廃線から間もなく6年、草が生い茂り周囲と同化しつつある中、柵があることで辛うじてここが線路跡だったことを思い出させます。バスが通る国道231号線には大きな歩道橋が設置されています。真冬の気象条件を考えると、全天候型としていることも理に適っているといえるでしょう。
☆留萌駅
残りおよそ半年の終着駅に戻りました。外観は2015年に訪れたときと大きく変わっていないように思いました。とはいえ、この駅も現在は1面1線だけが使われていて2番線、3番線とを結んでいた跨線橋は通れなくなっています。2番線と3番線用の構内信号機に×印がついているところを駅の外側から見ています。手前にある「50」の数字は留萌本線のキロポストです(深川駅から50キロ)。駅名票の隣にある観光案内地図は、留萌から先の線路も描かれている頃のものです。駅の今後がどうなるのかも気がかりです。グッズの類はあまり買わないのですが、さすがに次はないかもしれないと思いましたので、記念の入場券を購入しました。
☆余談-真布駅
石狩沼田駅の隣の真布駅です。この駅も、来年にはマップ(地図)上から姿を消してしまいます。
函館本線山線の旅
北海道新幹線の札幌延伸に伴い、並行在来線としてJRから経営分離されてバス転換されることが発表された、函館本線の小樽駅と長万部駅の間(通称“山線”)に乗車してきました。最近はメディアでも取り上げられることが多くなっています。こうした区間の列車に乗っているのは鉄道ファンばかりなどと揶揄されがちですが、1日の運転本数を考えると通勤、通学、通院、買い物などの日常利用が容易でない区間も少なくないと思います。日帰り往復のため多くの駅に立ち寄ることができませんが、まずは乗り通すことをメインに考えました。
☆H100形に初乗車
実質的なスタートは小樽駅です。山線を走るのはH100形で、乗車するのは初めてです。ワンマン運転対応で、前方には運賃表の表示があります。小樽-長万部間の140.2キロで、現在は途中駅が16しかないことが一目でわかります。
床下の音と振動は気動車そのものですが、最初の難所ともいうべき小樽駅から塩谷駅にかけての上り勾配を軽快に走ることで、モーター駆動の性能をすぐに実感しました。以前は同じ場所をディーゼルエンジンがかなりの音を立てつつ、ゆっくり登った記憶がありますが…。
かつては特急列車も定期運転された主要ルートにもかかわらず、道床には木の枕木が使われていて、ローカル線の趣を演出しているようでもあります。
乗車した列車は2両編成で、途中の仁木駅あたりまで混雑していましたが、終点の倶知安駅到着時は座席定員の半分以下の乗客数に見えました。
☆小樽から先の区間はICカード乗車券が使えません
小樽駅構内でも列車内でも、ポスター掲示や放送の告知で再三注意を呼びかけています。しかしながら、ICカード乗車券で札幌駅方面からそのまま乗車する人が後を絶ちません。下車駅では精算ができず、その都度運転士が(下車駅に関する)証明書を発行することで列車が遅延する原因になります(出場記録のないICカード乗車券では入場することができないため、次の乗車前に精算する必要があります)。単線区間での列車交換があり、待ち合わせ列車の乗客にも迷惑が及びますので、気を付けていただきたいものです。
ただ、見方を変えると、新型車両ゆえにICカード乗車券も使えるという誤解につながったのかもしれません。、キハ40だったら、乗車時にICカード乗車券は使えないと納得してもらえるのでは?とも思いました(写真のキハ40は長万部駅で撮影した函館行きです)。
☆三線軌条ではありません
山線区間には2本の線路の外側にもう1本レールらしきものが置かれているところがあります。曲線部分の脱輪防止用と思われますが、三線軌条が始まったようにも見えます。もっとも、軌間の異なる列車は運転されていませんし、仮にこの部分を標準軌に改めたとしても新幹線が走行できるわけではありません。
☆俱知安駅で乗り換え
倶知安には昼前に到着しました。駅の外観は特に変わっていないものの、構内は工事中でかつてのホームは使われていません。駅の隣には道南バスの待合所があります。喜茂別や伊達駅前行きとあるのは旧胆振線の代替バスです。喜茂別までは1時間に1本程度運行している時間帯もありますが、伊達駅前(JR伊達紋別駅)までの通し運転は1日3本しかありません。乗り換え時間が1時間余りということで、見た目にもヘルシーな感じのランチプレートを少し早めの昼食としていただきました。
俱知安到着時の状況を見て安心していたら、長万部駅行きは1両編成ということもあり、予想を上回る混雑具合でした。1時間半余りの乗車時間は着席することなく終点に向かうことになりました。
☆長万部にて
今回の旅の終点である長万部駅に到着しました。過去に何度も通っているとはいえ、実際に駅に降りたのは初めてです。まずは跨線橋の上から室蘭本線と分岐するところを見ます。線路の上の横断橋は通れなくなっていました。名物だった駅弁(かにめし)の販売がなくなったのも寂しい限りです。連絡橋の通行廃止で大回りになりましたが、町民センター内の鉄道村に立ち寄りました。写真撮影OKとのことでしたので、何枚かご紹介します。置かれていた座席はキハ183の普通車だったでしょうか(781系電車のような気もしますが、説明書きがなくて自信がありません)。掲示されていた函館本線、江差線、松前線、瀬棚線のダイヤグラムは昭和61年(1986年)11月1日改正と書かれていて、国鉄最後の列車ダイヤだったことがわかります。瀬棚線は1987年3月に廃止されましたので、JRの路線になることはありませんでした。